「歴史」は創作されたもの

あくまで例え話として、人の寿命が80歳なのは、歴史に載ってこなった事件や事故が原因なのかもしれない、と考えることもできる。

本来は200歳まで生きることができる人間が、ある事件を境に、ある習慣をもつことになったがゆえ、80歳までしか生きられないようになってしまったとしたら。

僕たちは「その事件」に反省することもできづ、改善することもできづ、今を生きているとしたら。

伝統や歴史は、リスク回避の経験的な積層だと思っている。

そこから大きく逸脱し、「新しい」と言って出てくるものは、過去それは失敗としてor高リスクとして回避されてきたもの、にすぎない。または、本当に「新しい」


そう、これを書こうと思ったのは、この「本当に新しい」。ってのが。実は過去おこった封印された事件or記録されてこなっかた「歴史・伝統」に抗う、改善する提案なのではないか?ということ


ミッシェルドセルトーが書こうとした小文字の「history」。大文字の「HISOTORY」にのってこなかった、ちいさな日常的実践のようなもの。




だれかが大声で主張している裏側で、押し殺されて、埋もれてしまう「事実」を見る目。

あまりにも、時間的に間の空いてしまったリスク回避の積層。

あまりにも空白の多い、リスク回避の積層。


あくまで、公にされてこなかった「事件」を目にし、今もなお生き続けている者の存在を前提とした「妄想」。


あまりにも根が深い。がゆえに。不安なほど疑わしい根拠。




に裏付けられた。「新しさ」