五十嵐太郎の「ゼロ〜イチゼロ」的建築シーン 「ヤンキー・デザイン」の危険な魅力/五十嵐太郎氏・連載(1) を読んで
- 作者: 大友克洋
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1984/09/14
- メディア: コミック
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2008年の仙台で行われた「カルチュラル・タイフーン」のテーマとして掲げようとこころみたらしい。(猛反対にあい失敗)
地方都市において行われるイベントの議題として、その独自性を狙っていたそうだ。
「東京メディアが見過ごしてきた“無意識層”の存在」としてヤンキーをすえている点は鋭いと感じた。
ヤンキーと建築に関して考えると
伊東豊雄は『透層する建築』のなかで未来都市を語る際に、引用している『AKIRA』の主人公は暴走族であり、ハイスピードで未来都市を駆け巡っていくシーンを回想している。
漫画での不良高校のプロトタイプとしては、壁中スプレーで落書きされ、窓ガラスが割られている校舎が描かれている。
いま思いつくのはこのふたつ程度ではあるが、このふたつに身体を通したダイレクトさを感じる。
前者は都市を体験する身体(ヤンキーの)をとうして、後者は身体をとうしたダイレクトな装飾としてみることができるのではないか。ヤンキーの建築と身体の関係からダイレクトさを感じる。
何をもって「東京メディア」というかわからないが、必ずしも「無意識層」であるわけではないが、少なくとも建築の世界では「無意識層」だ。
責任をもったコメントにたいして返答していくという形式は、非常に面白く感じた。