はてなダイアリー

そもそもこのはてなダイアリーはどういった構造をもっているのか疑問だった。
ごく簡単にかみくだいてみると。

はてなダイアリー上の文書は、どの文章がどのような役割をもつかの約束があり、かつ相互観照可能な文章(ハイパーテキスト)であり(ここまでがHTML)、かつどのように表示するかの設定ができる(CSS)、ということになるかと、、

そもそも研究者間での文書の相互観照を可能にし、研究が重複しないようにするために開発された相互観照可能な文章(ハイパーテキスト)にたもとを置いているという点から考えると、読書録としてこれまでどうりの短いサマリーと感想を書いていくことはほとんど、紙のノートに書けばすむことになる。
それでも不特定多数にたいして、無料で情報を発信できる媒体であるブログという形式には非常に魅力をかんじている。
ミクシィやブログをやっている人には現代的感性を感じていたため、このように初めた所存でございます。
悲観的な情報化社会に関する意見には、違和感を感じていたが、どちらかというと避けていた面もある。
はてなダイアリー」のように、プログラミングに関する知識がなくても、web上に文書や画像をアップできるっていうのはどうしても、うまい話すぎるようなという感覚がぬぐいされない。
しかし、スポーツ選手がプレイ中にルールについて疑ったりすることがないように、ルールをうたがってみるのもいいが、ルールのなかでどのような作戦が有効かを考えたほうが何倍も生産的だ。

ブログの中でも、専門家の文章は勉強になる、専門家でなくとも体験談的なブログのなかには、その体験が独自性をもっていると感じられる場合はコンテンツとしての価値ををかんじる。
では自分は?

豊作の実りを期待せず、ただひたすら畑を耕し続ける農夫のように
倉田康夫

姿勢としてこれは美しい、では何の畑なんだ?種は?

正しい建

青臭くていい、自虐なしでこれでいこう。

恥ずかしい読書録 緊張している読書録

ちなみに「はてなダイアリー」に関しては非常に丁寧な説明がされているサイトが多数ありました。


建築造型論ノート

建築造型論ノート