マイクロポップ と 建築

永遠の病弱文系眼鏡少女キャラ(五十嵐太郎氏が命名松井みどりさんの
マイクロポップの概念は、五十嵐太郎氏の以下の文章により、飯島洋一氏の批判と結びつき、五十嵐氏にユニット派の議論を想起させるというみちのりを示している。

松井の問題提起は、筆者の専門である建築の立場からも興味深い。ユニット派の議論を想起させるからだ。飯島洋一は、1995年以降、阪神大震災に衝撃を受けたポストバブルの若手建築家が、大きな理念をもたず、日常のささないなことから創作する立場を批判した。これに対し、筆者は、リアルな日常の豊かな細部を発見する彼らの態度を擁護したが、マイクロポップの議論との接続も可能だろう。
実際、B級建築のフィールドワークを行ない、マイクロ・パブリック・スペースの試みを紹介するアトリエ・ワンの「いきいきとした空間の実践」展(ギャラリー間、2007)のオープニングにおいて、伊東豊雄は彼らのアマチュア的な態度を指摘していた。ジャンルの違いを越えて、同時代性が感じられる。なぜ筆者が新世代の建築家と同時に、K.K.の作品にひかれたのかも納得がいく。


『世界の片隅で震える松井みどりのまなざし』 artscape
五十嵐太郎