「【就職不可能】の烙印を押されたボクの就活」から考える

センセー!大人がみんな「君は絶対に就職できないよ。」って言ってきマース。


「君は絶対に就職できないよ。」
「ヒー」僕は、間違って洗濯してしまったセーターみたいに縮み上がった。

多くの大人が、僕に言った。言葉だ。がっくりテンションが下がり。自信を喪失した。このまま消えてなくなりたいとすら思った。
結構信頼していた人にも、言われたし。それで、やっぱりマジで、そうなのかな。とも思った。

理由は、一年間休学し、海外旅行をしていた事だ。うん。やっぱりむちゃくちゃだった。

たいした理由もなく。そうしたいから。そうした。

こんな事したヤツが、世の中に通用するわけない。

僕は僕なりに考え。そうしたんだけど。帰って来て。いろんな大人と話す中で。まさかあんな事を言われるとは想像もしていなかった。すごく、子供っぽい考え方をしていたんだな。なんて、思ったりもした。
一応。いろいろ勉強になった。今は、それで。よかったんだ。と、思っている。



でもやはり、言われた後はガックリきた。もともと、悩み事を人に話す習慣がなく、重たい気分をたっぷりため込んでいた。それをうまく隠して、笑顔で生活していたかというとそうではなく。暗い顔をしていた。声も小さくなり。声がでづらくなってもいた。人前でしゃべるのが苦手になっていった。
丁度同じ時期に、美人な彼女にも。振られてしまった。

超絶に。落ち込んでいた。


こうやって振り返って書いてみると、見事に「就職できそうにない僕」に。自ら、一歩一歩近づいていたのがわかる






時は立ち、就職活動。僕は、いくらか自分を安売りした上で3社内定を頂いた。いまももっといい企業に入りたいとおもったりみたりしちゃって。就職活動を続けている。
内定をもらっている企業は学部卒でも行けた企業。それでも入れるだけでも奇跡だ、とも思ってる。「安売りして」といえる分だけ、自信を取り返してきている。

根拠のない自信を持つのはダサい。身の丈の自信を持つのはすごく必要。なによりも必要なのは、「自分もやれる」という自負だという事を、就職活動で学んだ。



今となっては、「あの言葉」を言った人たちを蹴り飛ばしたい。とも思うし、すぐに反論して「絶対就職して見せるから、出来たら土下座ね」とでも言ってやればよかったな。とも思う。
その反面、 「あの言葉」が、僕が就職活動をするにあたって、僕を「かなり」用心深くしてくれた。とも思っている。

いまでもなお、否定的な言葉で、可能性や夢を打ち砕いてくれる、ありがた迷惑な人がたくさんいる。
それで僕はわりに、そういう言葉を真に受けてしまうことが多い。

僕の就職活動が、割にうまくいったという経験だけからわかることがある。ホントかどうかはちょっと自信がない。

「否定的な言葉」「絶望的な言葉」をいう人たちは、僕を過小評価してくれたか、想像力が圧倒的に欠如していたか、たんなる冗談で笑うべきところだったのか、のどれかだ。きっと世の中の絶望的な言動のすべてが、この3つのパターンのどれか。だと思うことができれば。もっと貪欲になって。希望をもって生きていくことができる。と思っている。

きっと。だれかに言われなくても。自分で自分の自信をどこかに放り投げてしまう事だってある。

自分で自分に「絶望的な言葉」を投げかる時だ。


絶望したり、自信がなくなったり、消えてなくなりたいと思ったりしてる時って本当にきつい。ので、できるだけ多くの人にそうなってほしくないんだ。

だって人生は、けっこう短い。

寿命かける365日で、日にちに換算してみるといいですよ。僕は29100日。


内からも外からも「絶望的アドバイス」に出会った時。跳ね返すのに本当に必要なのは。 「作戦」なんだとおもう。
きちんと練られた「作戦」を、どれだけできているか?という評価軸を持って生きていくことが重要だと考えている。
オリジナルの評価軸の中には、「絶望」はない。どの程度うまくいっているか?いっていないか?何がしたいのか?何が足りていないのか?できるようになるためには、今プラスαで何をするべきなのか?いつでも、具体的な問題と向き合い、具体的なアドバイスを、自分で自分にできるようになれるかもしれない。


あと。どんなに想像力の豊かな人でも、他人の人生までは想像できない。のだ。

なんだか。とても。エラそうになってしまった。もう少し、じっくり。腰を据えて書いたほうがよかったかもしれない。後半はPHP文庫っぽくなっちゃってる。キモイって言われちゃうな。

でも、でも。もしも。割と。僕と同じような境遇で。ヒーヒー言っている人がいるかもしれない。

そんな。人達に読んでもらいたい。

それでもって

戦争だ!DNA単位での長生きだ!苗字間戦争だ!婚活だ!目標はシュワツネッガーだ!筋肉界の神だ!プロテインの買い占めだ!ダンベルも買い占めだ!きっと重くて持てないからアマゾンだ!でもお金ないからバイトだ!

あ!

わかった。 「標準」の足りない部分を補う。ってスタイルの 「特異」 な提案ってことでいいんだ。

「標準」はコレココレコウイウ効用がありますよ。ただあなたの要望にすべてお答えする場合。コウイッタオプションなり工夫ができますよ。



こうして結果できたモノを分析すると。「標準」と「特異」の混合物が生まれるってわけだ。


なんだ。当たり前すぎて。への河童だ。冬の海の家だ。強烈な個性を持つ人に会った後の、耳鳴りにも似た人鳴りだ。

「標準的」「特異的」

「標準的」「特異的」

そもそもこの問題に取り掛かるきっかけになったのは、就職活動だった。僕が書き溜めたディテールスケッチを見て大手建設会社、設計事務所の社員さんが、「もはや設計者がこだわりのディティールを書いてもお金にならない」という事を言った事が発端になっている。僕はその言葉に言葉を詰まらせ、何もいう事が出来なかった。あーやっぱり残念だな。とも思った。
でもでも、それは違う。違う。それじゃ困る。もう少しじっくり考えてみよう。

「大した分析もなしに、非常に多くの決定が【標準】ということに基づいてなされている」

いろいろな場面で、「標準」「特異」の二極がある。アタマを整理するために書き出してみる。

ゴールドラットTOCは、既存の会計学の評価軸を捨て去ることで、問題を解決した。

僕が今来ているパーカーは「ユニクロ」=既製品。

構造設計にも、「既製品=標準」「オーダーメイド=特異」が存在する。

コルビジェの設計したサヴォア邸。サヴォア邸の一階部分のサッシは既製品。サヴォア邸自体はオーダーメード。

整理しようと思ったら混乱してきた。パーカーを例にとって考えてみよう。

そもそもパーカーという形式は、歴史を遡れば、「特異」の部類に属している。そもそも上着にフード(帽子?)をくっつけるのは不思議だ。一回も使ったことないぞ。でもついてるとカワイイ。

はじめは何かのためにくっついていた。
今は、カワイイのためについている。もちろん今も、何かのために使える。
何か=初めの目的

初めは部位「特異」であったパーカーは、その形式だけが現在?(市場?)に残り、形式は「標準」になっている?

という事から考えると。今まであった=標準 今までなかった=特異。???初めに戻ると。「特異」は開発者が生み出し。「特異」を「標準」にまで昇華するのが設計者の役割?
でもでも、開発者にニーズを伝えるのも設計者の役割。
開発をデレクションするってこと。

標準化できないと商品にならない。「標準」のスピードは半端じゃない。時は金なり。
10,000人を相手に供給するためには、ひとりひとり回答してたら日が暮れてしまうので、ばっちり「標準」って言葉で安心してもらって。OKでしょ?って感じだろう。

「この「標準」には、何十年の実績と、実験による検証のハクがついておりますよ。いかがです?抜群の信頼感ですよ。」「そうっすね」

大体、何百億円の買い物の意思決定ってこんなもんだろうか?

いま「現代」という海の荒波で、溺れている。



たとえば、マフラーひとつとってもゼロから作ろうと思ったら、蚕から育てなければいけない。

1+1+1・・・・じゃなくて。(もあるけれど)たいてい10+2+5+1000・・・・みたいになっている。(当たり前すぎるか)これを肉体労働と知的労働に分けるわけだ。

ドラッカーがでてくるわけか。マネイジメントか。????



・「標準」との食い違い

「標準」なり。「1」を作るにあったて。その「目的」なり「評価軸」ってものがあるはずで。そことの食い違いが、「脱標準」「特異」を求めることにつながる。

食い違いを感じるのが個人なのか、人類と「標準」の食い違いを発見するのか?

・相手にしている「標準」の正体を暴けってこと?


問題は、だれのためにそれをするか?で。「ワタシ」のためだと「ハァ?」となってしまう。「アナタ」の為は、「重い!」し「アナタ達」だと「エラそう!」。ってことで、「ワタシ」も「アナタ」も「アナタ達」も含めた、「ワタシタチ」なんてのがいいのかな?

最初は「ワタシ」なんだけど、イロイロ、マーケティングとか相談とかして「ワタシタチ」で頑張って提案しているものが好き。

「客観的データの組み合わせ」に語らせる能力が必要。
そうなってくるともう。「標準」「特異」なんてそうでもよくなってきた。

ここでは、「客観的データ」は標準で、「特異」は組み合わせってことになる。

もちろん完璧な「客観的データ」はなく、限界はあるので、「やや標準」。もちろん「組み合わせ」だって「やや特異」。

やっぱり、「グレーゾーン・小数点」的な考えや、「ブラックスワン」的な考え方ができないと、問題自体がまちがえてて、手の打ちようがなくなる。

「標準」ってのは、微分されたニーズ(消費者:これほしい 生産者:儲けたい)で、「特異」は積分されたニーズ(消費者:これじゃなきゃイヤ 生産者:ここは譲れないこだわり)?

とにかく「標準」を選択することを「妥協点」にしたくない。そのためにはどうゆう考えかたすればいいのかわからない。

標準:わが社の部品には ABCDE の五種類あります。この要望の条件を考慮した上で、我々はBを提案します。なぜなら・・・・・

言い回しで、客に何とでも言えるんだろうけど。
すくなくとも、「イイモノ」を作りたいと考えたら。「すべて正直に」話すほかない。

「ニーズ」次第で、どこまで「標準」で、どこまで「特異」かが決まる。このバランスの「標準」はない。

僕がほしかったのは、ハウツーだった・・・・

そんなもん。ない。条件による。当たり前かぁー