『神奈川工科大学 KAIT工房』 見学 設計 石上純也
フラットバーの柱の傾きや大きさ、柱の密度を微妙に変化させることで約2000㎡の平屋に多様な空間が生まれていた。
半径2Mの柱の微妙な変化が、身体をエスコートしていく感覚を産み出していることに驚いた。柱の傾きが方向性を生んでいる。
一本一本の柱は華奢だけどその高さからか不思議と存在感を感じた。
重心の高い空間と柱とのバランス感覚が絶妙だった。
(個人的にはけっして落ち着く高さではないと感じた。)
柱と梁の接合部のディテール隠され抽象的であるのはいいとしても、どうして梁を見せているのか疑問だった。
天窓から入る直射日光も不快だった(暖房なしで室温が27℃)。
『小さな図版のまとまりから建築について考えたこと』を読むと、
「具体的な要素が入ってきても壊れない抽象性を作りたい」との理由から、天窓から空を見えるようし、梁をむき出しにしたという。
確かに空調機はむき出しで置かれているし、水周りの給排水官は床につきささっていて生々しかった。
一面ガラスのファサードはサッシも筋交いもはいっておらず、物としての迫力を感じた。
四つ角のガラス同士の接合部はかなり大雑把だと感じた。
あれだけでかいガラスをつかうならもっときれいにできたのでは?
ガラスの迫力と白く塗られた柱のそっけなさにはギャップを感じた。
四つの開口部は地面と段差なくつながっているため、室内の開口部付近の床に勾配をつけ雨水処理をするのも素直過ぎる。
周辺にはアスファルトがしかれ、緩やかな勾配をつけていた。
素材のアスファルトも狙いだったのか?
いきなり現実に戻されるような気分だった。
ファサードを見ると地面との接着面から数センチ浮かせているも、釘が丸出し。
これもすべてを等価に扱い均質な空間を生み出すためだったのか?
「あいまい」っていう言葉には、はぐらかされている気分になるけど、実はかなり徹底的に「あいまい」をつらぬきとうしているのかもしれない。
戦略も緊張感もあった上でのあいまいさ。