『変身』 カフカ 

ドゥルーズガタリの『カフカ マイナー文学のために』を理解するため、5年ぶりにカフカの『変身』を読み返す。
依然読んだときの、主人公が大きな虫に変身してしまうことと、その物語は陰鬱だったいうことしか記憶になかったが、よみかえしてみると、実にコミカルな物語だと感じた。

主人公は起きた瞬間から、自分が巨大な毒虫に変身していることを把握している。それでも思考は明晰で、仕事のことを思いうかべてはその悪口を内面の吐露として表現されている。
虫への変身から、主人公が始めに気にかけるのは、仕事のことや、自分の稼ぎで生活している家族のことである点は、資本主義における人間の姿をこっけいにうつしだしている。
はしった声は(その表記はあくまで言語を用いているが)虫の鳴き声になってしまい人へと届いている点は、書き言葉での表現の特質をよく利用していると感じた。言語としての記号性をうばわれて、擬音語として表現されてる。

虫に変身してしまったことで、社会的なやくわりから逃走せざるえなくなっている。
虫に変身した主人公はやがて、周囲に気を使うことをやめ、欲望をあらわにしはじめる。
部屋にかざられた、絵画をに固執し、守ろうとしている。
主人公は自分にたいする家族の行為から、善意や悪意を主観的に判断している。
妹の世話を、やがて妹自身の満足のために行われていると判断している。
自分の身におっこったことに絶望するわけではなく、その後淡々と変身後の自分と家族との生活が描かれていく。
食事をする歯のかみ合う音が気になり始め、その音に歯のないあごは、まったく不要なものであることを感じされるという描写は、人間であったころの主人公と虫に変身してしまった後の主人公との、領域が不鮮明になっていることを表現しているように考えられる。
最終的には、家族における役割、社会における役割、自分であるあることすらも手放す。
虫から開放された家族は、散歩に出かけその後の生活の期待に胸を膨らませる。

虫という身体からくる規制(身体的・社会的)、モノにたいする解釈の変化や、身体性の変化に対する描写は、人間から虫へと変身する、中間を表現している。
内面的退化と身体的老衰により、主人公のアイデンティティが結実されていく。

変身 (新潮文庫)

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