島袋道浩展:美術の星の人へ  ワタリウム美術館



ストーリーを感じるモノ同士の関係の中に、そのモノ同士の関係以外の関係を結び付けている。
料理であればレシピがその関係を決めている。 島袋さんの作品をみると、モノ同士の関係から人間の関係を連想することができる。
モノのほんの小さな動作が、記憶を呼び起こし人間の動作に結び付けられ物語を構成しはじめる。
モノであることの不自由さを理解したうえで、ヒトはモノを人間のように語るようにしつらえることができる。
人間のすることを、モノをとうして再考することができる。


『シマブクのフィッシュ・アンド・チップス』

自然界では決して出会わないもの同士が出会う、そんなことが食卓では当たり前のように起っている
ジャガイモは海にもぐり魚に出会いにいく。fish&chipsという料理における、材料同士の関係をすこしづつずらしてい      くことによってジャガイモと魚は新たな関係を結んでいく。
当たり前の組み合わせであったはずが、当たり前ではあるはずなのに驚いてしまう。
      

『アートソンジェ山の夜明け』

 僕たちが普段相手にしているものは、だれのものでもなく何に作用されることはなく、それをどうするか、どうつ       かうかが違うだけである事を思い知らされる。
太刀魚に国境はなく、調理法に国境が現れてくる。


『箱に生まれて』

 人のように語る「箱」は、人が感じるように喜んだり、不快に感じることを話している。
人の行為自体に腹を立てたりする。
 擬人化することによって、『箱』は人のように感じているかのようであるが、身体的な(ハコ的ナな?)規制から
語る内容は、箱自身が偶然人の言葉を使って箱自身のことをはなしている。そこには、人間の言語であるという規制の      バイアスがかかっている。
 第一に言語である規制・第二に身体的な規制をとうしての「箱」の独白。


『浮くもの/沈むもの』

 水槽の中を、野菜がうごいている。野菜はぶつかったり、浮き沈みをしながら位置をかえていく。
僕は人間みたいだと感じた。ほんの小さな動きが僕に人間みたいだと感じさせる。
人間みたいであるというこは、実はすごく単純なことのようににも感じることができる。 

       
『わけのわからないものをどうやって引き受けるか』

 言葉はたどたどしくとも、詩やメロディーは美しい。
記号性や、音階は、言語の発声のしかたによってきえない強さがある。 


『やるつもりのなかったことやってみる』

 はじめてゴルフを体験、思ったより楽しく、やるつもりがなかっただけにそこには驚きがあった。