ウェブ進化論

 読み途中ですが
メモ

・ブログは連帯感を不特定多数で共有することができ、そのようなことがブログ誕生以前には存在していなかった新たな価値を創出していると考えられる。
 口語的な砕けた文章の価値の側面としての「連帯感」というのはは新たな発見。
 「ああ、確かに」と確認することへの隠れた欲求。
 
そういったブログを見たとき、素直でうらやましいと感じ、現代的感性の持ち主だと感じるのは、「連帯感」を感じているからかもしれない。

顔文字いっぱいのとるにたらない文章でも、「連帯感」を感じたいとい欲求を満たしてくれるのかもしれない。すくなくとも僕は顔文字を自由に使える感性はなく、そういった文章にあこがれる。僕にはない感性が、そこには強く作用している。犬のように世界を見ることはできないが、カフカがあらゆる動物にかわって世界を見たように、僕も「顔文字」を使いこなせる誰かの視点で世界を見ることはできるかもしれない。



いまだ「共感」は表現において重要な位地をしめている。「連帯感」は共感のしかたを教えてくれるおそろしいものだ。

捏造された「共感」を作り出すのは、不特定多数だからこれまたやっかいで、よりおそろしい。



・「ニュートン力学」では、「量子力学」は理解できないように、情報環境の発展は、その中に深く立ち居らなければ、わからない。
この考え方に感心するのは、実存主義に通ずるいさぎよさや、清い知識(存在価値ではなく)のありかたを感じるからだろう。