マイクロポップとフィリピン植民地時代 『日常的実践のポイエティーク』から考えたこと

『日常的実践のポイエティーク』を読んでいて、昨年いったフィリピンのことを思い出した。

フィリピンは、スペイン アメリカ 日本と三度も植民地化を経験している。その影響は現在もなお社会経済的空間の中にも、ユートピア的空間の中にも残り続けている。

スペイン植民地時代にキリスト教の布教をうけ、現在もフィリピンにおける、主要な宗教のひとつとなっている。町の中を走るジープニーとよばれる乗り合いバスは、駐留米軍の払い下げを今でも使用しているものだが、キリストや聖母マリアの色彩豊かな装飾のようなものが、フロントガラスのいたるところに飾られてる。その飾りはヨーロッパの教会を思わせるものではなく、明度や彩度が高いカラフルな装飾になっている。

フィリピンの都市の中には、教会も建設されているおり、古い物は材料にサンゴが使われているという。外観の装飾は少しおおぶりで、全体が茶色く見える、内部はいたってシンプルだ。

スペイン統治後のアメリカ植民地時代の影響もあり、独立した今でもフィリピンは、英語を第二外国語とする人口が、パキスタン、ナイジェリアに続き世界で三番目にその人口が多く、全体の人口が一億人に満たないことを考えるとその割合は多いと考えられる。
町を歩いていてもネイティブとまでは行かなくとも英語を話せる人が多い(フィリピン独特のなまりを感じる。)

植民地化という抑圧の体験の中で、フィリピンの人たちは外部をもたない内部において、異者であり続けている考えてることが出来、システムの中に入りこんでまるでそれをひっくり返しているかのようである。システムは同じなのに、使い方がまるで違う。

駐留米軍の払い下げのジープの、乗り合いバスへの転用や、そに見られる独特なキリスト教の装飾は、ジープという骨格を残しながらも、見た目も使われ方も一変してしまっている。

従属的関係はくつがえされているかのようである。

僕がフィリピンに滞在していた間に、民衆がマルコス政権を打倒した、革命記念日があり町中で現政権に対する、デモが起こっていた。
僕がかよっていた、英語学校でも、経営者と教師の間でメディアを巻き込む運動が起こった。(巻き込まれそうになった)

三度の殖民地化をのりこえ、運動により政府を打倒した、フィリピン人のたくましい気質は、
町の中を歩いていても、その風景の中に戦術として感じることが出来る。