埋立地がおもしろい

夢の島

埋立地」という言葉を使うとき確かに無意識に「夢の島」を浮かべていた。




以下ウィキペディアより転載

・歴史

「戦前の1939年、東京湾に飛行場建設のために埋め立てられ始めたのが始まり。飛行場が完成することなく2年後の1941年には資材不足で工事は中止され、しばらくの間は海水浴場として賑わっていた。

1950年代、東京都内でゴミが急増し始め、それに対応するため都は夢の島をゴミ処分場として決定し、1957年12月には埋め立てが開始された。それ以降、ハエが大量発生する事件が発生するなど「夢の島」といえば「ゴミの島」というイメージを広めながら、1967年までこの地へのゴミの埋め立ては続いた。

埋め立て終了から11年後の1978年、都立夢の島公園が開業。整備が進み、ゴミの島という雰囲気を感じさせることはなくなっていった。現在ではスポーツ施設が建設されるなど緑の島として生まれ変わっており、京葉線の開通などにより身近な人気スポットとして親しまれている。」

・名称の由来

「埋立当時、飛行場が建設される予定であった。戦後間もない頃には遊園地などが計画されるようになる。そのせいもあってか、当時のマスコミのうちのいくつかは、「夢の島」と、この地域を呼んでいた。これが自然のうちに定着したかのようで、1969年には江東区に正式な行政地名としてこの名が採用された。」




歴史や名前の由来をたどってみると、もっとも古い階層に「飛行場」建設のためのプロジェクトが存在する。

現在の「夢の島」のベースは「飛行場」としての用途に適した骨格を持ってる可能性が高い。

その後、海水浴場・ゴミ処理場・公園と転用が進み、現代のスポーツ施設へとたどり着いてきた。

おそらく「ゴミ処理場」への転用の際には、道路計画の変更が見られるのではないかと考えられる。

「海水浴場」から「ゴミ処理場」への転用は、容易にすすめられたとは考えにくい。「夢の島」へのイメージは一変しするため、

周辺街区への影響は非常に大きかったのではないかと考えられる。

埋め立て終了から11年という空白も興味深い。

京葉線開通を期に、周辺街区の変化は非常に大きな影響があったと考えられる。

未完の「飛行場」建設跡地の島は、そのために作られたのではないプログラムを飲み込みながら現代の「夢の島」として東京湾を陣取っている。



  未完の飛行場建設跡地「夢の島」引き続き、「お台場」もおもしろい。

 そもそも日本の埋立地建設は江戸時代までさかのぼるそうで、「夢の島」は比較てき若い埋立地

 「お台場」の歴史は江戸時代にさかのぼり

 ペリーが開国をもとめ黒船でやってきたコトを契機に、台場(砲台)を建設したことに始まる(1854年竣工)。

1892年品川台場位地図



第三台場が現在の台場公園にあたる。

第六台場は立ち入り禁止のようだが当時の輪郭を残している



TV局は縄文時代からみられる神域に建設されることが多いが(電波と霊)、フジテレビは例外的にこのお台場に建設されている。

(厳密には台場の上ではない)

フジテレビビルに埋め込まれた球体は大砲の玉に似ているのは偶然か?