リーベ英雄 先生

せっかくなので、文系の授業を受けてみようと市ヶ谷キャンパスへ。
哲学の授業をうけたかったが、もうおわっていたので、文化言語学という授業を受けることに。
担当がリーベ英雄っと書いてあってなんか見たことある字だなと思い。授業を受ける。
時間の少し前に大教室にいくと、ロックコンサートの前みたいにどんちゃん。女性がおおい。鼓膜がいたくなる。

授業は、国際文化学部の授業だったようで、日本の近代文学は西洋文学のモデルにしたがっているか、影響をうけているか、否かで、その特徴を二分することができる(漱石はイギリス文学のリアリズムの視点で日本人を書き、谷崎は、源氏物語の手法で日本人を書いた)。
一方でその逆は?ということで、エズラ・ウェストン・ルーミス・パウンドという詩人を登場させる。アイダホ生まれのアメリカ人でパリに渡り詩人となる。
日本に留学していたフェネロサ経由で、日本の俳句「hokku」を知ったパウンドは、以下の詩の中で、俳句の手法を使い、パリの近代を描き、「モダニズム」のさきがけとなる。

”At a sutuation of the Metro ”
The appearition of those faces in a crowds; petals on a black ,wet baugh
『パリの地下鉄にて』
/人の流れの中のそれらの顔の現れ方や 黒くぬれた 木の枝の花びら/   

(つづりが不安)


「:」は「や」にあたるそう。人ごみは地下鉄へと流れる人々をあらわし、花びらはファッショナブルな女性の姿を現している。
俳句という手法によって、当時もっとも近代的なメトロと女性の風景を描いた。


その後、芭蕉の「奥の細道」の2句を生徒に翻訳させる。
もぐりのひともおおいらしく、発表される翻訳は本当にすばらしかった。
僕は、はじめて英語の授業がおもしろい!と感じた。こういうのがやりたかったんです、まってました、と。
しかし、自分の翻訳はぼろぼろ ぜんぜんだめでした。


帰ってからあの教授は、どんな人なんだと調べると、『万葉集』を英訳したひとだった。すごい。。。。
翻訳の際の言語に関する微妙な差異をすくいあげる感性は圧巻。
ましてや俳句の翻訳においては、ものすごく神経をようするだろう。

目的とちがった授業だったが、いい授業を発見してしまった。

帰り道、同級生にあい、ふらふらしていること見つかり一喝された。

手遅れにならないうちにトリプルブローにたちむかわなくては