「アクリルケースのホコリとり」「ホコリ鳥」  ゼミから考える

誰もやりたがらないけど誰かがやらないとあとで他の人たちが困るような仕事を、特別な対価や賞賛を期待せず、黙って引き受けること。(『村上春樹 ノーベル文学賞受賞のヴァーチャル祝辞』内田樹

「センチネル」
人間的世界がカオスの渦に呑み込まれないように、崖っぷちに立って毎日数センチずつじりじりと押し戻す仕事。
(『村上春樹にご用心』内田樹

豊作の実りを期待せず、ただひたすら畑を耕し続ける農夫のように

倉田康夫

「ホコリ鳥クロニクル」
以下1〜5は便宜的につけた番号であり、その順序は意味を持たないとする。

1、アクリルケースのホコリとり。
  ホコリふきの職業。  
  かけがいのない一人のホコリとり。                        『創り手』


2、磨きあがったアクリルケース。
  中にはいっているものがよく見える。中に入っている「何か」の発見。       『真性の発見』


3、ほこりかぶったアクリルケース(ヒトの内側にいくつかある)の中にある「何か」。 『フォーム』『元初』『思惟対象』



4、いくつかある中から、どのアクリルケースか、選ぶ。               『コンセプト』


5、ただひたすら磨き続ける。(ホコリをとりつづける)               『リアライゼーション』『思惟作用』


6、ひとりでふくケースもあれば。
  みんなでふくケースもある。
  ケースの中にある「何か」は誰のものでもない。                 『共同性』

0、昼間でも暗い深い森の中を歩いていると、たくさんホコリかぶったアクリルケースが、よわよわしい光を灯しながら置かれている。
  大きさにすると一辺が50センチの立方体。しゃがみこんで、何の気もなく首にかけた手ぬぐいで磨きはじめる。
  時間を忘れて磨いていると、あたりがここに来たときより明るくなっていることに気づく。
  



『カーン建築論集』の読書会で、建築を設計することは、ホコリかぶったアクリルケースをふくことのようなものだ、という教授の言葉が、しばらく耳から離れなかった。もっとクリアに説明してくださっていたはずなのに。これじゃホコリかぶせみたいな文だな。




かの小林秀雄先生は、こうおっしゃった。(講演のテープで)
かの柳田國男先生は少年時代、ほこらにはいっていた、氏の祖母が体を磨いていた蝋をみつけだし、それを手にとった時に、くらっと我を忘れて、まさに茫然自失になってしまったそう。
そのとき鳥が、ピーっと鳴き我にかえった柳田少年は、のちにその時鳥が鳴かなければ狂っていたと、かたったそう。

これは、小林秀雄が、超現象についてベルグソンを下敷きに話をしたのときの導入として上げた話のひとつ。
このようなことをウソかホントかの議論にすりかえてしまうような科学的思考に、異を唱えている。



それとは全然関係なく、柳田少年を我に返したピーっとないた鳥は、かの「ホコリ鳥」だったのかもしれない。 (なんちゃって)

いや、たぶん おそらく 絶対に そうだ。