「『建築論事典』をめぐって−建築論と建築の現在を考える−」見学

日本有数の各分野の建築エキスパートが集い、ハイレベルな議論が展開されあっという間の3時間。
暗黙知的なキーワードの背景になるコンテクストを追いきれず、いくつかの固有名詞に関する理解ができていない僕でも、意識を失うことなく聞けたのには、『建築論』という分野の特徴と、建築論をめぐる外延的な議論を展開したいという指針による。全体性を内包しインテグレイトする(しようとする)姿勢。
学・フォーム以前のナイーブな視点としての建築論は、建築が人間にどう働らいているのか、物の表れの現象を、記述する。対人・社会文化への思考、人・建築のペアリング。図式解釈における「意味のぺアリング」は、要素間の相互関係という、具体的対象以外の関係性を記述することができる。


(書きながら意識を失う)



建築論 は 建築を元にセカイを理解する一つの方法である。

人間は建築家であるべきだ

人は詩人のように住まう 

ヘルダーリン


強靭な知識に裏づけされた言葉は、コンテクストなしで呑み込んでしまうと、胃が痙攣してしまいそうだけど。
信じてみたくなる。

『ELEPHANT MAN』

「media」 medium の複数形 「中間媒体」 

「Don’t Trust Over 30」
mod’s in UK

「孤独と不安を感じさせる壁、あるいは境界を抜けることができれば、別の人間になることもできる。僕は自分の小説で、そうしたことが起こるのを目指しています」
「偽のレンガで、真実の壁を築く」
村上春樹60歳 インタヴュー 

「Trust Over 30」
kisouchi


僕の読んだ、ペンギンブックスの『elephant man』Tim vicary著 はジョゼフ・メリックという青年をモデルに書かれたそうで、僕はまずおどろく。


ジョゼフ・メリックという青年に関する正しい知識がないので、だいぶ簡略化された英文のペンギンブックスの『elephant man』Tim vicary著をもとに、考えた事。4点。


そして、これは『elefhant man』に対する、
だいぶあいまいな記憶という編集者と、Tim vicaryという作家の名を、どうやってカタカナ表記したらいいかもわからないくらいポンコツな英語の知識の印刷所アルバイトと、自習室が好きな図書司書の三角関係を保持したままの駆け落ち主義的考察である。


・醜悪な容姿はエレファントマンの幸福にどれくらい関与したか?
・この物語に唐突に出てくるメディア『TIME』誌
見世物小屋→刑務所→病院→カントリーハウス というエレファントマンの人生により結ばれる建築プログラムの変遷。
・27歳まで見世物小屋で働き、その後亡くなる31歳までの4年間、病院・カントリーハウスで暮らす。

ということを真面目に考えようと思っていたが、眠気というNASA安眠枕開発部部長をここに加え、4角関係保持駆け落ち主義的考察にシフトする。



メリック
「それで君は、『TIME』誌を手にとったわけだ。」




ジョセフ
「あっと。えーと。そう、表紙が「twitter」だったので。何の気なしに。それが、読んでみると何やらすごいことになってるらしいんですよ。「twtter」。でもそれが、どうすごいのか、なぜ必要なのか僕にはさっぱりわからなくて。乳母車にハンドルが付いてるのと、同じくらい。わからない。毎日のように図書館の談話室で、頭の悪そうな二人組みがエイエン議論していて、最後に片方が「結局、歴史が淘汰していくんだよな」って言って、二人して沈思黙考してるんだけど。そういうものかしら。「twitter」。」






メリック
「・・・・んー。 よくわからない。それと『elephant man』と何が関係してるの?」
           






ジョセフ
「あっと。えーと。『elephant man』における、『TIME』誌は、医師の募金の呼びかけという投書を掲載することによってエレファントマンを希望に導いた、とおもうんです。もちろん内容や、募金に協力した人、エレファントマンの最初の見世物小屋からの脱走と いう点も考えるべきですが。当時のマス・メディアであった『TIME』誌が、エレファントマンの醜悪な容姿を希望に導く要素に変えたと。僕は「twitter」に関する知識が、沈思黙考にたどり着くまでもなく、皆無に等しいわけですが、もしもそれが新しいメディアのあり方なのであれば、『elephant man』における、『TIME』誌のような、強靭さで、人間の醜悪なものを、絶望のレールから、希望のレールに変換する力を期待しているんです。」




メリック
「単純化が過ぎる。」 

 





    
      

『イレイサーヘッド』デヴィット・リンチ

へヴィーな問題をいったん棚上げして、映画鑑賞。
どうしてデヴィット・リンチっていうひとが、こんなに有名でもてはやされているのかいっきに腑に落ちる。
まぎれもなく奇才。
グロな表現がまったくダメな僕にとっては早送りのシーンがおおかったけど、不条理をじでいくシーンの数々は笑ってしまうほどおもしろい。
矛盾したことをつきつけられるとヒトは笑ってしまうとなにかで読んだけど、早送りすべきグロとお笑いシーンばかりだと、この映画をかたづけてしまう、おバカな自分に無念。

この映画を、日本にもってきて、シチュオアニストと混ぜたのが寺山修司の映画『書を捨て街へ出よ』だろう。
寺山修司の映画のルーツが、デヴィット・リンチにあるかどうかは知らないけど(たぶんある)。
寺山は「笑うヤツが嫌いだ、僕は笑ったことがない」とホントか嘘かよくわからないことを何かのインタビューでいっていた。
矛盾を笑ってすませないで、真摯に受け止めることができたヒト達が、矛盾を矛盾したまま受け入れ、脈々と矛盾を表現することを受け継いでいるのだろう。





主人公の髪型がかっこいい!

日本人が真似するとこうなっちゃう




ちなみに、英語のリスニングのつもりで見たけど、極端にセリフがすくない。
そもそもカルト・ムービーで英語の勉強とはずいぶん間違ったやり方である。

住宅コンペの案を打ち合わせる。条件が限られている中で、どれだけいいアイディアを提案できるかっていうのが、なかなか難しい。三人で進めるというやり方も、どう武器に変えていけるかもいまだ手探り。「人と動く」と書いて、「働く」。協調性の欠ける僕にとって、今年はこれが一番の課題。「人と動く」を武器にする。どんなに奇抜なアイディアも、近代のスラブを積層して、壁で区切った均質な空間構成よりも、どういいのかをだれもがなっとくできる形で提案できなければいけない。少なくとも住まうことのリアリティを感じられるような提案である必要がある。すごく微妙なトコロだけど、そこが大事。どんなに論理的に、レトリックの効いた言葉で飾られても「こんなとこすめねーよ」っていわれちゃダメ。図式に陥りすぎると、条件を飲んだとき、たくさんボロがでる。構造・構法の知識が、少なすぎて提案できる範囲が限られているのが悔しい。来週の月曜日もう一度集まることに。結果が出なくてあせって一度は自分に期待するのはやめようと思ったけど、もうちょっと粘ろ。僕は休んでいられるほど偉くないし、まだまだ若い。名言にしがみついて、ヒーヒー言いながら
ガンバロっと

24時集合のスタジオからかえってきて、朝の4時。空がもう明るい。
今日は、スタイリストアシスタントのKくんもくわわって4人。ナイスガイすぎ。
「毎日生きるか死ぬかですよ」なんて言われたら、反省しまくりでした。

昨日と今日はたくさん初対面の人とあった。

WRで久しぶりにお会いした大大先輩のOさんは、「お元気ですか?」と聞いたら
「あーなんとか生きてるよ!」と満面の笑みで答えてくれた。
反省しまくりです。



でもなにより楽しかった 

新入生歓迎 ウォークラリー 東京ダイバー

毎年、この時期、大学では、新入生歓迎ウォークラリーが行われる。
OBの方々・教授を中心に、上級生くっついて、新入生と東京の名建築を、各グループに別れて回る。
僕は三度参加し、一度目は上野・二度目は代官山・三度目(今回)新橋から皇居周辺 を見学した。
今日東京の街には、たくさんの建築探偵団がカメラを持って街歩きをした。
熟練探偵が、スルスルとトリックを紐解いていくのを見て、僕たち後輩探偵はハーっと関心する。
僕たちのグループは、以下の建築をポイントにして、歩いた

静岡新聞・放送東京支部
丹下健三さんの作品。中銀カプセルタワーにつづき、ザ・メタボリ建築。1968年に建てられた、この建物に、40年以上たった今でも、十分驚かされる。主幹から伸びるキャンチのすぼまり方、フランジをファサード出しているところが、好み。

ソニービル
葦原義信さんの作品。エレヴェーションがステップフロアーになっており、エレヴェーションフロアガイドも、スキップフロア状に、ガンコウしているのは、グッとくる。

メゾンエルメス
ファサードが、ガラスブロックで覆われている、エントランス方面のファサードは地上3Mくらいのところで、カット
されている。45°にカットされその断面が、表に見えているところなんかの、ディテールのバランス感覚がすばらしい。ガラスの鋭利さが、やわらげられる。
カットされた、エッジの部分のガラスブロックは、シーリングされてなく、支持金属部品が、透けて見えるようになっているのは、エンジニアの種明かしにもなっている。

東京国際フォーラム
巨大な吹き抜けの壮麗さと、ファサードのガラスを支える骨組みがかっこよすぎる。
頭上を斜めに走る、ブリッジの素っ気なさがクール。
笑ってしまうくらい、ピン接合は、それがピン接合であるとわかりやすく巨大。

丸ビル
新丸ビル
秘密の小さなガラスと鉄骨のパッサージュは、探偵ごころをくすぐられる。
周辺の地面のテクチャーが、石畳、木デッキ、タイル、アスファルトと、丁寧計画されている。

東京駅
(工事中)

桜田門
皇居ランナーが、異常に多くて、まず驚く。僕もランニングが好きだけど、わざわざ皇居まで行きたいとは思わない。
丈夫な足と、ちょっとした運動靴と、地面があればタダでどこでもできるってのがランニングの醍醐味である。
天皇を囲んで、周りを無心で走りながら、ハイになるなんて、ちょっとシャーマニズムはいっている。特攻隊が憑依しそうなものである。
儀式として考えるなら、試してみてもいいかもしれない。
というのは、おいといて。桜田門がどうすごいのかは、僕はわからなかった。
その前にある、警視庁の建物のが無骨でかっこよかった。


国会議事堂
これが、日本のポリティカルコレクトな建築である。
丸太をかついで、突撃、占拠しようと、企てたであろう世代、団塊であろう方々が、はとバスツアーで、大量に見学に来ていた。
ヘルメットと、サングラス、マスクをはずし、火炎瓶をおいて、 ポロシャツとスラックスで携帯を片手に、パシャリ
である。
それでも、国家議事堂は、かわらづ胸をはってこちらをえっへん、と見ているのである。


国立国会図書館
前川國男さんの作品、新館も前川さんだそう。
白く塗装されても、コンクリートの木目が、しっかり見える。
もう一度しっかり見に行きたい。

最高裁判所
ロシア構成主義を思わせるが、重厚で静的な構成。
沈黙の中で、ハンマーがカーンと鳴るのが聞こえて来そうである。





今日は24時から、下北沢のスタジオでアフターダークなセッション。

『The Great Gatsby
『The Beautiful and Damned』
『The Cut-Glass Bowl』
F. Scott Fitzgerald
『The Last Leaf
O. Henry
『A Small Good Thing』
Raymond Carver
『On the Road』
Jack Kerouac


さぁ院試の英語勉強だっと、ペーパーバックコーナーへ

英語がある程度、簡略化されているのか。短編を選んですらすら。

レイモンド・カーヴァーの『A Small Good Thing』は、村上春樹先生が翻訳されているが、内容は『パン屋襲撃』とシンクロしている。根っこ同じだけど、村上さんは、もっとデタッチメント&不条理に書いている。カーヴァーだけに『パン屋襲撃』は『A Small Good Thing』のカヴァーなのか。
ジャック・ケルアックは、読む時期が遅すぎたか、早すぎたかの個人的な問題により、受け付けない内容。

読んだ作家全員、もれずにアルコール中毒。わざとそう選んだのではなく、偶然!なんたる

ぐちゃぐちゃに生きてきた悲劇の作家たち(と僕は思う)の文章は、美文だ(と僕は思う)。





しかし、院試の英語は、科学英語なので、ビートニクも、ジャズ・エイジの大作家も、短編の名手も、英語は英語でもほとんど文章は別物なのである。トホホ

ちなみにプロフィール画像は、過去問の英文にでてきた永久機関(perpetual motion)のダイアグラムである。
インチキおもしろ科学の一例である『永久機関』は、かのアントニオ猪木先生も信じ開発に関ってしまったそうである。



さぁ院試の勉強だ